午前中、VW社の排ガス不正問題の経緯を説明した。何故?という疑問がいまでも頭の中を過るが、起こってしまったことは今さら元に戻らない。純一郎もめずらしく黙って博士の話を聞いていた。
「午前中に話をしたVW社不正問題の話から、実はディーゼル車は限界に近いのではと思っている。まず、話を続けよう。
不正内容はモード試験走行時には排気ガス規制に適合するようにモードを切り替える“ソフトウェア”が組み込まれていたのだった。その時点での対象台数は米国で50万台弱であったが、世界中で1,100万台を超えていた。制裁金は2兆円とも5兆円とも噂されている。
JettaはNOx触媒として比較的低価格で搭載上問題の少ないLNTを選択したが、この方式単独では米国NOx規制に適合することは難しく“EGR”の割合を多くしなければならなくなった。すると空気量が少なくなるためPM発生量が多くなり、“DPF”に負担が大きくなる。
一方、米国規制では浄化装置の耐用期間は12万マイル(≒19.3万km)と決められていた。このままでは5万マイル(≒8万km)で“DPF”のフィルターを交換しなければならず、法令違反になってしまう。
そこで、シャシダイナモメータ³⁰⁾(図2-7の右下写真)によるモード測定をしているとエンジンECUが認識すると、法規制に適合するようにEGR制御(ERG³¹⁾率高め)を行う。ところが、ユーザーによる走行中であると判断した場合はEGR率を低くし、PM量を下げてDPFへの負担を抑え、DPFが12万マイル以上交換無しで済むようにEGR率を低く制御した。その結果、当然ではあるが規制値の15-35倍ものNOx量を排出してしまった。Passatの場合、SCRを採用しているけれど、規制値をはるかに超えた5-20倍の実路NOx値を示した。これがいくつかの文献、記事からの真相のようだ。」
「“10の疑問”の2番目、何故VW社の排気ガス不正が起きたのか、について技術的な話、プリウスに対抗しなければならなかった理由など分かった気がする。VW社の技術者たちもかなり追い込まれていたんだ。」
「クルマは、当然排気ガス規制を守りながら、性能(出力・トルク)、燃費、価格、サービス性などで競争するわけだ。決してバランスの中に規制を入れてはいけない。クリーンディーゼルの実路NOx値は、お金を掛ければ規制はモードと同レベルに抑えることが出来る。Mercedes Benz社のE220dでは“SCR”を使って実路NOx値で何と規制値の0.51倍³²⁾と非常にクリーンになることを実証している。だから、決してクリーンディーゼルが間違ったコンセプトではないということだね。燃費向上分と触媒による価格アップ分をどうユーザーが選択するかだと思う。敢えて言うならば、トヨタプリウスに対してクリーンディーゼル車が性能(出力・トルク)、燃費、価格、サービス性などで勝てると判断したことが問題だろうね。クリーンディーゼル車は高価格車という認識をしなければならないと思う。」
「なるほどね、クリーンディーゼルのコンセプトは間違っていないんだ。」
「そうだね。事件の云々は別にして、ガソリンエンジンよりも燃費がいいクリーンディーゼルは、HVにある意味、勝てないということを世界のトップメーカーであるVW社自ら示したという、自分で自分の首を絞めてしまった形になってしまったね。
ところで、実はこの事件にはもう一つ重要な事実が事件の影に隠れてしまっている。それはガソリン乗用車に比較して、ディーゼル乗用車の実路NOx値(規制対象ではない)がモードNOx値(規制対象)の何倍かの量を排出しているとICCTは既に2012年11月に報告している³²⁾。図2-12がその報告内容だ。これによれば、VW不正問題が起きる3年前の2012年11月にICCTが欧州の排気ガス規制EURO3(2000)、EURO4(2005)、EURO5(2009)、EURO6(2014)に対して、実路NOx値はそれぞれ、2倍➡3.2倍➡4.4倍➡7.5倍と次第にモードNOx値との差が大きくなっていることを発表している。
さらに、ICCTは不正問題が発覚する半年前となる2015年3月にガソリン車との比較結果³³⁾を発表した(図2-13)。欧州の排気ガス規制EURO1(1992年)規制からEURO5(2009年)規制に対して、ガソリン車のNOx規制値と実路NOx値のずれが許容範囲であるのに対して、ディーゼル車は規制値と全く乖離した測定結果になっている。ガソリン車の三元触媒システムは実路値だろうと精度よく制御できるのに、ディーゼル乗用車は過渡、坂道などを実路では触媒の制御精度はすこぶる悪いと言える。その結果、排気ガス規制は年々厳しくなってもディーゼル車の実路NOx値は変わらない状態、むしろ増加した時期もあったという衝撃的な結果が既に発表されていた。
勿論、実路NOx値の測定方法に定まった方法はないし規制対象でもないので、その測定方法含めて慎重に議論・合意しなければならない。ただ重要なことは、“ガソリン乗用車は規制値通り実路NOxも同レベルに低減”されているということである。明らかに、ガソリン車が“三元触媒”を使って規制値と大きく乖離している。この事実が騒がれる前に、VW社の不正問題が先に発覚したため、“35-40倍”という数字に驚いたけれど、5-6倍というのが本当のところだと思う。」
「ディーゼルの実路NOx値は“おかしい!”と欧州自ら気付いていながら、VW社の不正が発覚するまで誰も騒がなかったのは、何か釈然としないね。」
「でも重要なことが分かってきた:
➊ガソリンエンジンの熱効率は、未だディーゼルエンジンに追いつけないけれど、排気ガス浄化は理論空燃比制御さえすれば、三元触媒システムで確実に酸化・還元して浄化して、EURO6レベルの規制までは適合できている。
➋ディーゼルエンジンの熱効率は高く、ガソリンの燃費よりも最近では15-20%良くなる。一方、排気ガスの浄化法では1)高圧噴射、2)EGR、3)酸化触媒+DPF+NOx触媒 を適用したクリーンディーゼルでEURO6の規制までは適合できているが、問題は実路NOxが7倍程排出しているということだ。ただし、これもNOx触媒にお金を掛ければガソリンエンジン相当になるが、高価格車である“プレミアムカー”に限られる。いずれにしても、クリーンディーゼル車でHV相当の燃費を得ようとすると、世界のトップ技術を有するVW社でも北米の厳しい規制では限界が近くなってきたことを示してくれたと私は思う。」
「博士、よく分かったよ。何故、燃費が良いディーゼル車、それも世界のトップメーカーであるVW社がここまで追い詰められていたとは知らなかった。」
「ガソリンエンジンの燃費はディーゼルエンジンにかなわない。しかしガソリンエンジンは“クリーンなエンジン”であることには間違いない。燃費さえ伸びれば、まだまだ単独の動力源として使えそうであるが、一体どこまで伸ばせるのか?現在のガソリンの最高エンジン効率は40%と言われており、さらなる燃費向上には安価な“超希薄燃焼技術”に大いに頑張ってもらわないと困るね。
ただ、ディーゼル車は根強く欧州では生き残っていくだろうね。それは価格、燃費、性能で優位に立つ電動車、HV・PHV・EVが未だ世の中に出ていないからだ。ドイツで生まれたガソリン乗用車、ディーゼル乗用車であるが100年の時を経て、今をピークに次第に減少し始めて、終わりを告げようとしているのかもしれないね。」
「次はどうなるの?いきなりEVはないよね?」
「日本で花を咲かせたガソリンハイブリッド車(HV)の話を聞きたいな。HVの将来性はどのくらいあるのかな?GV、DV、HVと比較しながらPHV、EVが主役になる時期の予測をしてみたいね。ようやく談義の核心に近づいてきたような気がする。」
博士はVW社の少々暗い話を何とか終えてほっとしていた。2,3日談義は休んで、次のハイブリッド車の資料準備をするつもりだ。@2019.7.25記
《参考文献および専門用語の解説》
30)シャシダイナモメータ☛ローラーの上にクルマのタイヤを載せて運転し、燃費・排気ガスなどを測定する装置
31)EGR率☛吸気系に還流させる排出ガスの量を吸入空気量で除した数値。つまり、吸気ガスの中に占めるEGRガスの割合のこと
31)「ディーゼルはもっときれいになる」@日経Automotive2016年12月号;p80
32)Laboratory versus realworld「Discrepancies in NOx emissions in the EU」
@ICCT(2012.11.7)
33)Real driving emissions「Challenges to regulating diesel engine in Europe」
@ICCT(2015.3.11)
出典☛
Laboratory versus realworld「Discrepancies in NOx emissions in the EU」
@ICCT(2012.11.7) より加筆
出典☛
Real driving emissions「Challenges to regulating diesel engine in Europe」
@ICCT(2015.3.11) より加筆